2014年11月24日

織田信長 「天下布武」

1567年夏  

。。。稲葉山城攻略後。。。


私 :美濃の平定、おめでとうございます

信長:うむ。
   亡き道三殿の所領、ワシが更に栄えさせよう。

私 :(なんだかこの人、凄味が増した気がする??)


信長:さすがに、名城稲葉山を擁する美濃。。。
   攻め取るのに難儀した。。。
   
私 :美濃に掛かりっきりで、お疲れ様でしたね

信長:ふっ、そんなにワシは猪突猛進する武将に見えるか?
   美濃攻めの間、他にも色々していたわ。。。

   まずは、三河じゃ。今川から独立した松平(徳川)と同盟、
   婚儀まで取りまとめた。
   元康(家康)は、今後大きな役割を担うであろうな。。。
   この先のワシと同盟を結ぶという事が、どのような事であるか
   腹を据えておった様子じゃ。。。ふっふっふ。竹千代め(笑)
   (織徳同盟・・・1562年   五徳・信康 婚約・・・1563年)

   何より、三河の家臣団じゃ。
   松平代々の岡崎に対する愛着が半端ではなく、それでいて
   元康の為に身を粉にして仕える者が多くいる。
   あの強さ、結束。。。 
   三河との同盟は、大きい収穫じゃ。

   それと、武田にワシの娘(養女)を嫁がせ、繋がりを持たせた。
   しかし、うまく行かんかったのが上杉じゃ。
   ワシの息子を養子に取ってくれと願い出たが、叶わんかった。。。
   北伊勢、武田、上杉が抑えられれば、背後の憂いは
   ほぼ無くなったのにの。。。
   (上杉に養子の書状・・・1564年 武田勝頼と縁組・・・1565年)
   (北伊勢侵攻に着手・・・1567年春)

私 :背後の憂い? それって、西へ向かって進軍していくという事を
   美濃を獲る前から計画しているという事???

信長:そうじゃ
   そういうことじゃ

   おぬしも分かってきたのう。
   ワシが事細かに説明せんでも、先に理解して行動しようとする。
   それが織田の家臣団じゃ。

   現に、今も家臣達は引っ越しの支度じゃ。
   ワシが稲葉山に居を移すと言い出すだろうと見込んでの。

   さあ、まだ先じゃ
   人間50年、先回りして急げた奴が勝ちじゃ


  そして、織田信長は稲葉山城の呼び名を、中国の故事にならって
  「岐阜城」と変え、天下布武を発令。
  『自分が天下を取る』と日ノ本全土に大声で言ったのでありました。




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ラベル:戦国時代
posted by 記者 夢見がち at 07:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 織田信長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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