2014年10月24日

北条早雲さん


初めて書く人か〜、誰がいいのかなぁ。。。

ウ〜ン。。。

と考えたときに『戦国時代を始めた人』
って言われる 『北条早雲』先生 がいいかなと思いつき、第一回は 『北条早雲』先生 に決定です


では、簡単に北条早雲さんをご紹介。

1432年 室町幕府のエリート(申次衆)である「伊勢盛定」の子として生誕
    ※1456年生まれ説もアリ。面白そうだからブログでは32年を採用
    「応仁の乱」のせいで、とんでもない事になってる都から出る。
     駿河の「今川義忠」に嫁いでた妹「北側殿」を頼って GO EAST 
1487年 甥っ子「竜王丸」が成人したら家督継がせるって約束してた「小鹿範満」が
    「やっぱり家督継がせるのヤダ」って言い出して早雲が成敗。
     この時に、駿東郡に所領を GET 
1493年 伊豆の「茶々丸」が謀殺三昧どんっ(衝撃)の末に「堀越公方」を名乗った。
     伊豆がカオスに陥ってたのを見た早雲は、甥っ子の兵もひきつれて伊豆へ。
    「堀越公方」という由緒正しき家柄を叩き乗っ取る、
     これがまさに  『下剋上』 の始まり
    「茶々丸」は逃げ出して、早雲は韮山城を拠点に 伊豆を平定
1495年 相模の小田原城を居城にしていた「大森藤頼」を、あれやこれやの手を使い
     攻撃して小田原城を奪取
1516年 攻めたり攻められたりを繰り返すなか、徐々に相模国内で勢力を伸ばしていき、
    「もう家臣の立場じゃ息苦しい」と今川家から独立。
     相模守護代「三浦道寸」を攻め滅ぼして、 相模統一 を成し遂げた
1518年 家督を息子の「北条氏綱」に。
1519年 没


ザックリ ですが、北条早雲さんはこんな人物です。
さすが 日本三大梟雄 と呼ばれるだけあって、濃密でステキな生涯です
ホントに1432年生まれだったら、88歳ですよ

この人がスゴいのは、「身分こそすべて」
くらいに名門・名家だけで作られてた世界に 『領民』 というワードを付け加えたこと
「分国法」や「検知」、「四公六民」なんて周囲は ド肝抜かれた んじゃないかなexclamation&question


では、次回のブログにて 『1519年の北条早雲さんが、自分の人生を語ったら』 を制作



≪参考リンク≫
ニコニコ大百科

年表でみる戦国時代

日本百名城の旅

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ラベル:戦国時代
posted by 記者 夢見がち at 19:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 北条早雲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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